●(再)発見からこれまでの活動実績
(再発見としているのは江戸時代にはこの現象が知られていたと思われるからです。)
平成20年より
1月 (主任研究員の篠澤が)所要で海岸沿いの道路を走っている時に偶然気付く。「ちょっとおかしい?人工的なのでは?と直感!」
1月の夕方、偶然、他の巨石の断面と太陽光線が重なった。
1月 白龍石前方の整列している3つの石に仮想的なラインを発見(人工的な構造物であると確信)。
1月 白龍石に空洞があることを発見
2月 亀石の発見
3月 春分の日に白龍石を通過する太陽光線を確認
5月 様々な線刻、人工的な加工跡を確認
6月 夏至の日に3つの石の仮想的なラインに夕日が沈むことを確認。
(一つだけではなく、季節の2分点が一致したことにより、外部に出せるだけの検証ができたと判断し、広報活動の準備を始める。)
7月 白龍石に渡る。100トン(推定)を超える5つの巨石で構成されていることを発見。巨石を支える台座構造、クサビ石の確認。
8月 県教育委員会、松山市教育委員会に「文化遺産としての保全の可能性」を打診。
・「すぐには無理。第3者の公的機関による調査証明が欲しい。」(←しかし、驚くことに巨石文化そのものを研究している大学機関、公的機関は日本には存在しない。)
・地元で盛り上がれば、調査・支援等も行ないやすいとのことだったので、地元への周知を最優先に方向転換。
9月1日 ブログにて情報発信を開始。地域への情報の普及活動を本格的に開始!
9月20日 夕日の鑑賞会 開催(20名以上参加)
・高浜6丁目町内会の二神会長や宮前文化遺跡を守る会の中西会長他の支援を受ける。
・調査委員会代表の仲矢も活動に合流!
9月27日 イワクラ学会主催のイワクラサミットin神戸(約100名参加)で全国の民間巨石文化研究者に報告。
・大会は兵庫県教育委員会文化財室長が来賓挨拶に来られた大掛かりな大会であった。
・足摺巨石文化研究会の方と交流を始める。
10月12日
・京都で行われた岐阜金山巨石群調査資料室の写真展に行き調査資料室の主力メンバーと交流を始める。
11月 勝岡神社に「白石の鼻」の巨石遺構について報告
11月26日 「歴史研究 12月号」に「白龍石の謎」が掲載される。
12月14日 冬の夕日の鑑賞会を開催(約30名参加)。
平成21年